ペッタンコ星人

ペッタンコ星人の日記です

プロフィール

ペッタンコ星人

Author:ペッタンコ星人
東京都池田山
映画の予告篇を作ってます

FC2カウンター

カレンダー

03 | 2017/04 | 05
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 - - - - - -

ブロとも申請フォーム

ブログ内検索

スポンサーサイト -----------

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

CATEGORY : スポンサー広告  △Page Top

向田邦子 果敢なる生涯 in 世田谷文学館  2007-05-06-Sun

やっと行ってまいりました!!

*向田邦子 果敢なる生涯http://www.setabun.or.jp/mukouda/mukouda.htm

向田邦子という人。
テレビドラマ「寺内貫太郎一家」「あ・うん」「阿修羅のごとく」などで人気を集め
「花の名前」「かわうそ」「犬小屋」で直木賞を受賞した。翌年の1981年8月22日、取材旅行先の台湾で飛行機事故のため亡くなった。享年51歳。
mk22.jpg

現在でも根強い人気を誇る作家・向田邦子さんの生涯を振り返る企画展
「向田邦子 果敢なる生涯」に行ってまいりました。
噂には聞いていましたが、20代の女性から80歳くらいのおばあちゃんまで、
本当に向田ファンは年齢層が幅広い。
とにかく30年近く前に亡くなったとは思えないほど、
向田さんの作品は今もなお世代を超えて受け継がれています。
mk20.jpg

入り口から聞こえてくるアン・マレーの「You needed me」はテレビドラマ「幸福」のテーマ音楽。
そこから続く向田さんの年表。ここで既に私は涙ぐんでおりました。
雑誌「映画ストーリー」の編集に従事するかたわら市川三郎のもとで脚本を学び
本格的に作家として独立、活動を開始。20年間で1000本以上の作品を手がけた向田さん。
執筆のかたわら、女性が気軽に寄れるお店を作ろうと、
妹と赤坂で小料理屋「ままや」の経営にも挑戦。
40代で乳癌を患い、51歳で直木賞を受賞。
さあこれから、という翌年、飛行機事故であっけなく他界。
美味しいものとお酒が大好き、素敵な友人がたくさんいて、家では2匹の猫が待っている。
こう書けば気ままな独身貴族に見えるかもしれなけど、時代は昭和の真っ只中。
女性が独りで生きていくということは
今では想像できないほどの勇気と信念が必要だったと思います。



珠玉のエッセイ「父の詫び状」の原稿や、万年筆、執筆に使っていたテーブルと椅子、
ペーパーナイフ、猫の文鎮、手帳と名刺、
そして勝負服などなど、たくさんの小物が展示してありました。
genkou_chichinowabijo21.jpg

「寺内貫太郎一家」1974年
舞台設定は墓石屋、ヒロインは足の不自由な娘、主役の作曲家、小林亜正は演技の素人。
…こういう企画は当時としては相当な冒険だったそうです。
d0087.jpg

「阿修羅のごとく」1979年
ホームドラマではダブーとされてきたセックス。
「二人で一杯の水を分け合って飲む」のも「蜘蛛が糸を編んで巣を作ってゆく」のも
セックスと考える向田さんが、演出家和田勉と組んで挑戦した問題作。
D110861941.jpg

「あうん」1980年
脚本家の名前がタイトルクレジットの筆頭に記された最初の作品。
20070506101240.jpg

1980年、小説新潮に連載中の『花の名前』『かわうそ』『犬小屋』が第83回直木賞を受賞。
連載中の作品の受賞は前例のない事だったそうです。
受賞の3作品が入っている13編からなる短編集「思い出トランプ」
02197317.jpg

直木賞受賞のことば

5年前に癌を患った時、
もうこれから先、面白いことは起きないだろうなと思いました。
このへんで止まりだなと思っていました。
ところが、わが人生で一番面白いことが起こったのです。
候補になった事も望外でしたし、受賞は更に望外でした。
五十を過ぎて、新しいスタートラインに立てるとは何と心弾む事でしょうか。
用意の姿勢をとり終わらぬうちに突然ドン!とピストルが鳴ったようで、
選手はいささかあわてておりますが。


そして走り出した瞬間に逝ってしまいました。
何のエッセイか忘れましたが、向田さんの作品でこんな一文があります。

私は出会った事件が個性というか、
その人間を作り上げていくものだと思っていたがそうではないのである。
事件の方が人間を選ぶのである。


この飛行機事故も向田さんを選んでしまったのでしょうか。
昔なにかの本で
「神様はその人が耐えられるだけの試練しかあたえない」という言葉がありました。
自分の周りにも今、いろんな試練と立ち向かっている人がいますが、
私も38年間生きてきて、今この言葉の意味が少し分かってきた気がします。

「触れもせで―向田邦子との二十年」の著者、久世光彦の言葉

誰も知らなかった向田邦子。もしかしたら私は、これだけの紙数を費やして、
あの人の不幸について書いてきたのかもしれない。
向田さんには、実際の人生で、自分が主婦として坐っている茶の間を半分諦めているような節があった。だから、あんなに温い茶の間が書けたのかもしれない。
自分には多分やって来ないと思っていたから、
花一輪の幸せをみごとに描けたのかもしれない。
向田さんにとって、幸せを書くことはきっと寂しい仕事だったに違いない。
1つの幸せを書きおえてペンを原稿用紙の上に投げ出し、
ぼんやり爪を噛んでいる顔が見えるようである

mk12.jpg


美しくなくてもいい、

最後まであきらめず、

勇猛果敢に生きてやろう(『寺内貫太郎の母』より)




スポンサーサイト

CATEGORY : 小説のこと。 Trackback 2 Comment 0 △Page Top

« 「言葉ではなく目で見るものを信じよ」 | ホーム | グレゴリー・コルベール in お台場 »


コメント


管理者にだけ表示を許可する
 

トラックバック

TB*URL

- 2008-01-01-Tue 01:46

管理人の承認後に表示されます [続きを読む]

- 2007-09-26-Wed 12:17

管理人の承認後に表示されます [続きを読む]

| ホーム |

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。